頑固さの果てに見える景色

最近何人かの人たちに言われるのが「なんでブレないのですか?」

それを聞いてくる人を思わず見つめて、「どっちがだよ」と思う。私のまわりは明確な目的(ミッションと言って良いだろう)を持って動いている人が何人かいる。ある意味頑固者である。その勢いは派手ではないが、ちょっとのことでは全く動かない岩のように静かで迫力がある。良さげなことを言っている人は多いが、ミッションを明確に持っている人は少ない。ミッションを手段と間違えている人もいる。例えば、この前もある社協の人と話をしていた時に、ある包括のリーダーが消極的だという話になった。「あの人、何がしたいんでしょうね、目的とかないのですか。」というと、「いえいえ、あの人もきちんと目的持ってますよ!」と興奮していうので、どんな目的かと思ってきいてみた。すると「高齢者の方々との相互作用を大事にしているのです」という答えが返ってきた。興奮していうことか、聞いて損したと思うのはこういう時だ。目的が何かもわかってない人がいかにも福祉を回しています的なポジションにいるので全く困ったことだ。だからいつまでも福祉は(医療もか)自己満足の世界だと言われるのである。ベクトルが自分たちに向いている。良いことしている自分、困った人のために働いている自分、酔いしれているのか。おめでたい。そして最後は「難しい問題なんです。」といってしまう図々しさ。難しくしているのは自分たちなのに気づかない。同じことは認知症について一生懸命やっている人たちの間でもよくある。「ご本人の気持ちを大事にしています」。ちがうって、それは手段(目標)であって目的ではない。なんでそのエネルギーをきちんと生産的な方向にもっていかないのか。目的と目標を混同している人が多い。目的はここではミッションとしているが、自分が見たい景色である。目標は今現在見えているものである。多くの人がいま見えていることや、やることの内容に重点をおいてしまっているので、誰それと何それしたということで満足してやったような気になっている。医療系、福祉系に多いようにも思う。というか、強迫的に忙しさを前面に出してくるのがなんとなく許される業種だからか。自分が見たい景色をはっきりとイメージする。ぼんやりではいけない。抽象的な文言でも明確なイメージを持てるようにする。大体自分のことで精いっぱいで、状況に不満ばかりいって人への感謝を忘れるような人が、他人の幸せを祈ってそこに自分が関わろうとできるのか。ケアを舐めてる。ミッションを持つべきだ、それがはっきりしたら、忙しさがあったって、人間関係がイマイチであったって、全く意に介さない。明確な目的に向かって走るだけなので、無駄に迷うことも、無駄に不満をいうこともない。そして目的に合っているかだけで行動がきまるので、そのやり方は非常に柔軟である、現に私の周りにいるミッションを持っている頑固者はそこだけは頑固だが、非常に柔軟性がある人ばかりだ。年齢は関係ない。みんな60、70、80もうすぐ90の友人もいる。この友人たちは若い時から明確なミッションがあるのだ。最高にクール。目先の手段ややることの内容に目がいっている内は見えない景色である。ミッションを明確にするのは簡単ではないが、それができたら、強烈に鮮明に物事が見えてくる。全くアナザーワールドである。これがいつまでも見れない人は、かわいそうだ。

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